🕊️ 導入:「推し」を見つめたあの夜に、もう一度。
夜の電車に揺られながら、イヤホンから流れてきたYOASOBIの『アイドル』。
その瞬間、胸の奥がざわついた。「この歌、私を見てる…?」と錯覚しそうなほど。
それは“推し”への憧れ以上のものだった。
あの日、私は彼女に「自分自身」を重ねていたのだ。
誰かを応援することは、他者の人生を願うことではなく、自分の願いを映すこと。
この記事では、その「願いの鏡=自己投影」の構造を、
私の体験とともに余すところなく語っていきたい。

第1章:偶像と現実──理想に挟まれた私たち
ステージ上のあの笑顔は、いつも完璧で強く見える。だけど、私は知っている。
「完璧さ」があるからこそ、私たちはその裏の闇を無意識に探してしまうということを。
YOASOBIの『アイドル』には、こんな一行がある:
「愛してるって嘘で積むキャリア」
その言葉を初めて読んだとき、鼓動が跳ねた。
“愛”が“嘘”にすり替わる瞬間、その重さに息をのんだ。
私は思った。アイドルは“嘘”を重ねる存在なんだと。
でも、それはファンである私も同じ。
「私は彼女を全肯定したい」と願うあまり、自分の痛みや嫉妬を見ないふりしてきた。
理想と現実、その境目で震える私たちを、アイドル歌詞はそっと照らす。

第2章:鏡の視点──あなたが見て、私が見て
この曲の魅力は、視点がゆらぐこと。
最初は“あなた(ファン)”の視点で聴いていたのに、ふと気づくと“彼女(アイドル)”の視点で語られている。
「あなたが見ている私」は虚構であり、
「私が見ているあなた」もまた、投影された虚像なのだ。
私はライブ映像でこの曲を聴いたとき、ステージ外の表情に涙を見た。
「笑わなくちゃいけない」その総てを背負った瞳だった。
アイドルとファンは、鏡の両面。
歌詞の中で交差するその鏡像構造に、私は自分を揺さぶられた。

第3章:なぜ私は彼女に「私」を重ねたか
心理学でいう“自己投影”。
私はあの日、彼女を見て、自分の叶えられなかった願いを映した。
「強い私でありたい」
「誰かを救いたい」
「笑っていなきゃならない」
そんな感情たちを、彼女の歌詞と重ねた。
歌詞に「かわいい」「尊い」「全部見せてほしい」といった言葉を感じるとき、
それは彼女のためではなく、私自身の“なりたい像”を探している瞬間かもしれない。
ファンである私は、彼女を通して“自分を肯定する物語”を紡いでいたんだ。

第4章:理想が崩れたとき、どうなるか
スキャンダル、活動停止、ギャップ。
私はそれらを“裏切り”と感じたことがある。
でも、その“痛み”こそが自分との対話のチャンスだった。
「私は理想を押しつけていたんじゃないか?」と自問する時間。
投影が壊れたとき、ファンは現実と向き合う。
そして再び、傷を抱えたまま投影を作り直す。
私はそのプロセスを何度も繰り返した。
でもそのたび、“推し”と“自分”の関係性が少しずつ更新されていく。

第5章:それでも、私は推し続けたい
投影を重ねて愛することは、怖さもある。
でも、推し続ける理由は、きっとそこにしかない。
彼女の笑顔、歌声、言葉。
それらが私の胸を震わせ、「私も生きたい」と思わせてくれる。
推しは、私のロマンであり、希望であり、救い。
彼女の存在が、私の物語を照らす光になる。
「推しているのは、彼女じゃない。あの日の“なりたかった私”だ。」
そして今も、その言葉が胸の奥で静かに震えている。

🧾 よくある質問
Q1. 歌詞を読み解く意味って?
ただの意味解説に留まらず、歌詞によって私たちの感情や願いがどう動くかを探るのが“考察”です。
Q2. 『アイドル』の公式歌詞は?
公式にはYOASOBIのサイトや、歌詞掲載サービスで確認できます。たとえば歌ネットで全文が見られます。
(例:YOASOBI『アイドル』歌詞 — 歌ネット)
Q3. 他にも自己投影を感じる曲は?
たとえば、BiSH「プロミスザスター」、乃木坂46「僕は僕を好きになる」、あるいはAKB48「君はメロディー」など。
📚 参考・リンク
※本記事は私自身の体験と感情を重ねた考察です。引用部分は公開情報に基づいています。


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