PR

昭和アイドルのファン文化編|親衛隊・雑誌・ブロマイドに宿る“推し活”の原点

アイドル
記事内に広告が含まれています。

あらかじめ言っておく。

この記事は、
「昭和のアイドル文化を“懐かしむ”ための文章」じゃない。

なぜ、あの時代のファンは、あそこまで本気だったのか。
なぜ、推しに人生を預けるような熱が生まれたのか。

それを、現場に立ってきた当事者の目線で、
今の推し活を生きるあなたに向けて、全力で書く。

僕は昭和のど真ん中世代じゃない。
でも、親や年上のファンたちから、
何度も、何度も、あの時代の話を聞いてきた。

レコードを並べていた部屋。
雑誌を切り抜く音。
ブロマイドを財布に忍ばせる感覚。

そして、
「推しを守るために、声を揃えた」人たちの熱。

それは、今の推し活よりも、不器用で、面倒で、
でも、どうしようもなく美しい文化だった。


第1章|昭和のファン文化は「不便さ」から始まった

昭和のアイドルファン文化を語るとき、
まず理解しておかなきゃいけない前提がある。

あの時代、ファンは圧倒的に「不便」だった。

  • 推しはテレビにしか出ない
  • 情報は月に一度の雑誌頼み
  • 会える機会は年に数回
  • 連絡手段は存在しない

今みたいに、
SNSで毎日供給がある世界じゃない。

だから、昭和のファンは考えた。

「どうやったら、好きでい続けられるか」
「どうやったら、推しを近くに感じられるか」

この問いに、
本気で、人生の時間を使って答えを出した人たちがいた。

それが、
親衛隊であり、雑誌文化であり、ブロマイドだった。


第2章|親衛隊とは何だったのか|熱狂ではなく「責任」

親衛隊という言葉を聞くと、
今でも誤解されやすい。

「怖い人たち」
「うるさいファン」
「迷惑な存在」

でも、実際に当時を知る人の話を聞くと、
印象はまるで違う。

親衛隊は、推しの現場を“成立させるための存在”だった。

ライブ会場では、
警備も導線も、今ほど整っていない。

だからこそ、
誰かが声を出さなきゃいけなかった。

「ここで声を揃えよう」
「今は静かにしよう」
「出待ちはここまで」

それを、
一番推しを想っているファンが引き受けた。

僕が印象的だった証言がある。

「俺たちは目立ちたかったんじゃない。
あの子がステージで歌える空間を守りたかっただけだ」

これ、今の言葉にすると、
“推しの安全と尊厳を守るための自警団”なんだよね。

熱狂の裏側には、
ちゃんとした倫理と責任感があった。


第3章|雑誌は「情報」じゃない|推しと会うための儀式だった

昭和のアイドル雑誌は、
今のSNSとは、役割がまるで違う。

雑誌は、推しに会う“儀式”だった。

発売日を覚えて、
本屋に行って、
袋を開けて、
ページをめくる。

この一連の動作そのものが、
推しと会う体験だった。

「平凡」「明星」「近代映画」などの雑誌は、
ただのメディアじゃない。

生活の中に、推しを迎え入れる装置だった。

ポスターを貼る。
切り抜きを集める。
インタビューを何度も読む。

今の感覚で言えば、
推しが“部屋に住み始める”感覚に近い。

だから、雑誌は捨てられなかった。
ボロボロになっても、取っておいた。

そこには、
時間と感情が染み込んでいたから。


ここまでが、第1回。

次回は、
ブロマイドという「持ち歩ける推し」
そして、浅草の老舗 マルベル堂公式サイト が担った役割まで、
一気に深掘りする。

昭和の推し活は、
ここからさらに面白くなる。


第4章|ブロマイドは「写真」じゃない|持ち歩ける“感情”だった

昭和のファン文化を語るうえで、
ブロマイドを外すことはできない。

断言する。

ブロマイドは、ただの写真じゃない。
あれは「感情を携帯するための媒体」だった。

サイズを思い出してほしい。

大きすぎない。
でも、小さすぎない。

財布に入る。
教科書に挟める。
引き出しに隠せる。

つまりブロマイドは、

「いつでも一緒にいられる」
でも
「誰にも見せなくていい」

この、絶妙すぎる距離感の発明だった。

今のアクスタやトレカと違って、
昭和のブロマイドは基本的に個人鑑賞用

SNSに載せる文化もない。
マウントもない。

あるのは、
「自分だけの推しを、そっと持っている感覚」

ここが、たまらなく深い。


第5章|浅草・マルベル堂という“聖地”|ファン心理を見抜いていた店

昭和のブロマイド文化を語るとき、
必ず名前が出る場所がある。

浅草の老舗ブロマイド専門店
マルベル堂

ここは、ただ写真を売っていた店じゃない。

「ファンの感情が、数字として現れる場所」だった。

どのアイドルのブロマイドが売れるか。
どの表情が手に取られるか。
どの衣装が残り、どれが消えるか。

それはすべて、
ファンの“無意識の選択”だった。

運営が発表する人気順位よりも、
現場のファンたちは、
マルベル堂の売れ行きを信じていた

なぜなら、そこには嘘がない。

お金を出して、
手に取って、
持ち帰る。

その行動だけが、
本当の「好き」を示していたから。

僕はこの話を聞いたとき、
正直、震えた。

昭和のファンは、
推しの人気を“体で投票”していた。

しかも、静かに。


第6章|部屋・財布・生活|推しが「住み着く」という感覚

昭和の推し活は、
イベントや現場だけじゃ終わらない。

生活そのものに、推しが入り込んでいた。

・部屋の壁に貼られたポスター
・机の引き出しにしまわれたブロマイド
・ノートに挟んだ切り抜き

これらは全部、
推しを思い出すための装置じゃない。

推しが「そこにいる」状態を作るための配置だった。

今みたいに、
スマホを開けば推しがいる世界じゃない。

だからこそ、
ファンは空間をデザインした。

朝起きて、
学校に行って、
家に帰ってきたとき。

そこに推しが“待っている”ように。

これ、冷静に考えるとすごい。

昭和のファンは、
推しとの関係を「時間」じゃなく「空間」で維持していた。

この感覚、
今の推し活では、なかなか味わえない。


第7章|なぜ昭和のファンは、ここまで本気になれたのか

ここで、一番大事な話をする。

昭和のファン文化が、
なぜここまで濃く、深く、熱を持ったのか。

答えはシンプルだ。

「失う前提」で、好きになっていたから。

活動休止。
突然の引退。
理由のわからない卒業。

説明は、ほとんどない。

だからファンは、
「今、この瞬間」を全力で抱きしめた。

次がある保証なんてない。
でも、好きでいることだけはやめなかった。

この覚悟が、
親衛隊を生み、
雑誌を神聖化し、
ブロマイドに魂を宿らせた。

昭和の推し活は、
刹那的で、でも誠実だった。


Q&A|昭和アイドルのファン文化についてよくある質問

Q1. 親衛隊って本当に怖い存在だったの?

A. 一部のトラブルが誇張されて語られがちですが、
本質は「現場を守るための役割」でした。
多くは、推しと他のファンを守ろうとした人たちです。

Q2. ブロマイドはなぜ今も人気があるの?

A. デジタルでは得られない「所有感」と「実在感」があるからです。
触れる、しまう、持ち歩く――その行為自体が感情を支えます。

Q3. 今の推し活と昭和の一番の違いは?

A. 一番の違いは「待つ時間」です。
昭和の推し活は、待つことで愛情が熟成していました。


――ここまでが第2回。

次回は、

  • 昭和ファン文化が平成・令和にどう継承されたか
  • なぜ「推し活」という言葉が必要になったのか
  • そして、現代の僕たちが昭和から何を受け取れるのか

を、感情と構造の両方で書く。

まだ、いちばん面白いところに入っていない。


最終章|推し活の原点は、たしかにここにある

昭和アイドルのファン文化は、
決して「昔の話」じゃない。

むしろ、今の推し活が迷ったときに立ち返るべき原点だ。

不便だった。
情報は少なかった。
次がある保証もなかった。

それでも、あの時代のファンは、
好きでいることを諦めなかった。

親衛隊は、
推しが安心して立てる場所を作った。

雑誌は、
会えない時間を生き抜くための命綱だった。

ブロマイドは、
推しを「生活の中に連れて帰る」ための発明だった。

たとえば、浅草に今も残る老舗ブロマイド専門店
マルベル堂公式サイト を見ればわかる。

そこにあるのは、
単なる写真じゃない。

ファンの人生と一緒に歩いてきた記録だ。

昭和の推し活は、
「推しを消費する文化」じゃなかった。

推しが存在できる場所を、ファンが先に作る文化だった。

それは、
今のSNS時代よりも、
ずっと手間がかかって、
ずっと覚悟が必要で、
でも、信じられないほど誠実だった。

もし今、あなたが

  • 推しが好きすぎて、どうしていいかわからない
  • 供給に振り回されて、疲れてしまった
  • 「この気持ち、重いのかな」と不安になっている

そんな状態なら、
昭和のファン文化を思い出してほしい。

好きでいることは、こんなにも自由でいい。
人生に組み込んでいい。

推し活という言葉が生まれる前から、
人はずっと、誰かを推して生きてきた。

その原点は、
たしかにここにある。

昭和アイドルのファン文化は、
今も、あなたの推し活を静かに支えている。


コメント

タイトルとURLをコピーしました