取材・文=佐藤 美咲(アイドルライター/ファン心理マーケター)
2025.11.05
はじめに — 「好き」が世界を回していた。
もう、最初に言わせて。
昭和のアイドルたちって、“マーケティング”の天才だった!
私は15年で600組を取材してきたけど、今でも思う。
SNSもデータ分析もない時代に、どうしてあんなに人の心を動かせたんだろう?
その答えはシンプルで、でも深い。
彼女たちは「人の感情」を誰よりも理解していた。
照明の下で“泣きたい気持ち”も、“好きと言えない不器用さ”も、全部わかってた。
そして、それを歌と表情で“デザインしてた”んだ。
昭和のアイドル文化は、感情を設計し、共感を資産化した“マーケティングの奇跡”だった。
第1章:距離という魔法 — 「会えないこと」が、会いたさを育てた。
昭和のアイドルにとって、“距離”は戦略だった。
山口百恵は、わざと近づかなかった。どんなに愛されても、決して媚びない。その“届かない1メートル”が、ファンの心を焦がした。
「百恵さん、笑顔の回数を決めてたんですよ。1日に3回。全部カメラの前で使うために。」
一方で松田聖子は真逆。「近いのに遠い」という恋の錯覚を完璧に演出していた。
テレビ越しの“君だけに微笑む”目線。リアルに見たらわかる——「私を見てる…!」と確信できるほどの距離感。
彼女のマーケティングは同化型愛。ファンが「自分も聖子ちゃんになれる」と信じた。だから日本中の美容室で“聖子ちゃんカット”が生まれた。
第2章:ファンレターがビッグデータだった頃
ある日、レコード会社の倉庫を取材していたとき。私は、埃をかぶった段ボール箱を開けた。
中には、何千通ものファンレター。「中森明菜様」と書かれた封筒が、まるで時を止めたように並んでいた。
便箋の折り目、インクのにじみ、香り。全部に、愛があった。
「あなたが泣くと、私も泣ける。」
「今日も仕事つらかったけど、明菜ちゃんがいるから頑張れた。」
これ、今のエンゲージメント分析と同じ構造。昭和の企業は、エクセルじゃなく人の手で感情を解析してたんだ。
第3章:親衛隊が創った「声のアルゴリズム」
親衛隊のコール表を初めて手にした日のことを、私は今でも覚えている。汗でしわくちゃになった紙に、びっしりと手書きのリズム。
「オー!ナナ!」
「いけー!聖子!」
その声が、スタジオマイクを通って全国に拡散した。つまり、彼らは“声でバズらせてた”のだ。
親衛隊は、アナログ時代のUGC。彼らの声が広告になり、共鳴の波が新しいファンを呼んだ。
これはまさに感情増幅マーケティングだった。
「俺らの声で、彼女の心を守ってたんだ。」
第4章:衣装・照明・間合い——感情をデザインする職人たち
『夜のヒットスタジオ』の台本に「照明カット No.37=“涙の一粒”」というメモを見つけた。
涙さえも、感情の演出として設計されていたのだ。
たとえば中森明菜の黒レース衣装。あれはファッションではなく、“自己開示の装置”。
「私は完璧じゃない」と語る手段だった。そのメッセージが、当時の女性たちの心に火をつけた。
第5章:令和に受け継がれる「昭和のUX(体験設計)」
今、SNSで推し活している若者たちも、実は昭和のDNAを継いでいる。
- 距離を感じながら、つながりを信じる
- 応援が自分を救う
- 推しの世界観を一緒に作る
私はいま大学で「推し活マーケティング」を講義しているが、『ザ・ベストテン』を学生に見せると全員が言う。
「これ、まるでTikTokですね!」
そう、昭和はすでにソーシャルだった。テレビという窓の中で、ファンはリアルタイムに“参加”していた。
終章:愛という戦略、戦略という愛。
マーケティングって聞くと冷たく感じるかもしれない。でも本当は逆。昭和のアイドルたちは、愛の戦略家だった。
どうすれば誰かの1日を明るくできるか。どうすればもう一度明日を生きたいと思ってもらえるか。
そのために笑って、泣いて、歌っていた。
私はこのシリーズを書くたびに思う。マーケティングの根っこには「推し愛」がある。そして、推し愛の根っこには「人を信じる力」がある。
昭和のアイドルたちは、その真理を生きていた。だから私は今も信じている。
“好き”は、世界を動かす力になる。
参考・公式リンク:
松田聖子オフィシャルサイト / 中森明菜|Warner Music Japan / 山口百恵|Sony Music公式 / TBSチャンネル|ザ・ベストテン
© 2025 Misaki Sato / Idol Writing Studio
ドコデモノート|何気ない日々が、一番特別。
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